── 関与ログ ──管理職という役割は存在していたが、判断が置かれていなかった構造
この組織には、管理職という役割が、形式として存在していた。
肩書きがある。
役割定義もある。
組織図の中でも、管理職はきちんと配置されている。
構造上は、判断を引き受けるポジションが用意されているように見えた。
実際の運用を辿っていく。
管理職の役割は、判断をすることではなく、
状況を整えることに寄っていった。
現場の話を聞く。
情報を整理する。
上に報告する。
下に伝える。
それらは、どれも必要な行為だった。
ただ、「ここで、何を判断するのか」
この問いは、明確には置かれていなかった。
当事者の認識は、こうだった。
管理職は、自分は決める立場ではないと思っている。
現場は、最終的には上が決めると理解している。
経営は、管理職が現場判断を引き受けていると考えている。
それぞれの認識は、どれも不自然ではない。
むしろ、合理的ですらあった。
管理職が判断を引き受けなかったのは、能力不足や意欲の問題ではない。
判断を下せば、責任が発生する。
一方で、
判断基準は明示されていない。
・どこまで踏み込んでよいのか
・何を優先すべきなのか
・どこからが経営判断なのか
それらが、構造として曖昧なままでは、
管理職は、「整える役割」に寄るほうが合理的になる。
組織では、判断が宙に浮く。
現場は、「判断待ち」の状態になる。
管理職は、状況整理を続ける。
経営は、「なぜ決まらないのか」と感じる。
誰も、判断を拒否していない。
ただ、判断を引き取る理由が、どこにも設計されていなかった。
この構造では、
管理職は増える。
判断は増えない。
会議は増える。
決断は増えない。
情報は上がる。
意思は残らない。
問題は、管理職の覚悟ではない。
力量でもない。
管理職という役割が、どの判断を、どの前提で引き受けるのか。
それが、構造として置かれていなかった。
結果として、管理職は「調整役」として最適化される。
判断は、
より上位へ。
より後工程へ。
先送りされていく。
判断が遅れた理由は、いつも「状況が複雑だったから」と説明される。
だが、本質は複雑さではない。
判断を置く場所が、管理職の役割の中に設計されていなかった。