── 経営判断ログ ──手段が先に立ち、判断が見えなくなっていった構造
この段階で、組織には多くのものが揃っていた。
KPIがある。
会議体がある。
報告の仕組みもある。
ツールも導入されている。
どれも、判断の質を高めるための手段だった。
実際、組織は動いていた。
数字は更新される。
会議は回る。
報告も滞らない。
それでも、後から振り返ったとき、こうした問いに答えられなくなる。
いつ、何を、なぜ決めたのか。
判断の痕跡が、残っていない。
理由は、特別なものではない。
判断が置かれないまま、手段だけが先に整っていった。
KPIを見ているから大丈夫。
会議をしているから決まっている。
ツールに入っているから管理できている。
そう感じられる状態が、構造として出来上がっていた。
手段は、本来、判断を支えるために存在する。
だが、判断がどこにも引き取られていなければ、
手段は、判断の役割を代わりに担い始める。
この構造では、問題が起きたとき、原因はいつも手段に求められる。
KPIが悪い。
会議が多すぎる。
ツールが合っていない。
だが、見直すべきだったのは、そこではない。
どの判断を、どの場で、誰が引き取るのか。
それが、どこにも置かれていなかった。
ここまでのログで見えてきたのは、
判断がさまざまなものに置き換えられていく過程だった。
人に置き換えられる。
成功体験に置き換えられる。
善意や配慮に置き換えられる。
役割や体制に溶けていく。
そして、最後に、手段に置き換えられる。
その結果、組織にはすべてが揃っている。
理念がある。
体制がある。
数字がある。
会議がある。
仕組みもある。
それでも、判断だけが見えない。
ここで問われているのは、新しい思想ではない。
より良い手段でもない。
どの判断を、誰が、どこで引き取るのか。
それを言葉にし、構造として置くこと。
それをしない限り、組織は自分で決められるようにはならない。
判断は、自然には生まれない。
設計されなければ、どこにも現れない。