── 関与ログ ──続ける/止めるの基準が存在しなかった構造

この事業は、明確に失敗していたわけではなかった。

一定の成果は出ている。
顧客もいる。
現場も動いている。

一方で、大きく伸びているとも言い切れない。

「悪くはない」
その状態が、しばらく続いていた。

この段階で、本来、問われるはずだったのは、

続けるのか。
止めるのか。
形を変えるのか。

その判断だった。

だが、実際には、その問いは正面から置かれなかった。

当事者の認識は、こうだった。

現場は、まだ改善の余地があると考えている。
管理職は、もう少し様子を見るべきだと思っている。
経営は、簡単に止める判断はできないと感じている。

どれも、慎重で、誠実な判断に見える。

だが、構造として見ると、一つの前提が欠けていた。

どの状態になったら、続けるのか。
どの状態になったら、止めるのか。

その線引きが、事前に置かれていなかった。

この構造では、判断は常に「今の延長」で行われる。

・少し良くなったから続ける
・致命的ではないから続ける
・やっている人がいるから続ける

止める理由は、いつも後ろに追いやられる。

結果として、判断は先送りされる。
続けることは、判断ではなく、慣性になる。
止めることだけが、特別で、重い決断として扱われる。

この状態では、誰も「続ける」と決めていない。
ただ、止める理由が見つからないまま、時間が過ぎていく。

やがて経営は、こう感じ始める。

「ここまでやったのだから、今さら止められない」。

現場は、「自分たちがやっている限り、続くはずだ」と理解する。
判断は、過去の投資や努力に縛られていく。

問題は、続けたことではない。
止めなかったことでもない。

続ける/止めるを判断する基準を、最初から設計していなかった。

そのため、止める判断は、最後にしか現れない。

・資金が尽きたとき
・人が耐えられなくなったとき
・外部環境が大きく変わったとき

つまり、選択肢が消えたときだ。
本来、止める判断は、経営判断の一つである。

だが基準がなければ、それは撤退ではなく、断念に近い形になる。

判断は、最後まで宙に浮いたまま、時間の中に沈んでいった。