── 関与ログ ──「決めたつもり」が、現場で量産されていた構造

組織の中では、多くの場面で「判断した」という言葉が使われていた。

会議で合意した。
上長に確認した。
関係者には共有した。

それらはすべて、当事者にとって
「判断した」という感覚を生みやすい行為だった。

構造として見直してみる。

そこに、判断は存在していなかった。

この組織には、意思決定をするためのプロセスがあった。

会議体がある。
承認フローがある。
責任者の肩書きも定義されている。

それでも実際には、

・何を基準に決めたのか
・何を捨てたのか
・なぜ今それを選んだのか

それらが、組織の中に残っていなかった。

当事者の認識は、こうだった。

現場は、決めたと思っている。
管理職は、現場で判断したと思っている。
経営は、適切なプロセスを踏んでいると理解している。

誰かが怠けていたわけではない。
責任を放棄していたわけでもない。

ただ、判断を引き受けた人が、構造の中にいなかった。

判断は、合意や確認の中に紛れ、消えていく。

その結果として、組織には、

・決めた記録はない
・決まった前提だけが残る

この状態が、積み重なっていった。

「決めたつもり」は増えていく。
一方で、「誰が、何を判断したのか」は、後から辿れなくなっていく。

この問題は、判断の質以前にある。

正しかったかどうかではない。
スピードが遅かったかどうかでもない。

判断が、構造の中に存在できていなかった。
そこにある。

組織では、

・次の判断ができない
・修正ができない
・止める理由も説明できない

こうした状態が、積み上がっていく。

問題が起きたとき、原因は「現場の実行」に置かれる。

だが、本質は、実行以前にある。

判断を置く場所がなかった。

これは、現場の意識の問題ではない。
管理職の能力の問題でもない。

判断を、合意やプロセスの中に預けたまま、誰も引き取らなかった。

その構造が、「決めたつもり」を量産していた。