── 関与ログ ──OJTと呼ばれていたが、育成判断が存在しなかった構造

多くの組織で、育成は「やっているもの」として扱われている。

OJTがある。
先輩が教えている。
現場で仕事を任せている。

そのため、育成について改めて問われることは少ない。
構造上は、すでに回っている前提になっている。

実際の運用を辿ってみる。

そこに、育成に関する判断は存在していなかった。

・どこまでできるようになれば一人前なのか
・何ができなければ、まだ任せてはいけないのか
・いつ、次の段階に進ませるのか

こうした判断は、明確に置かれていなかった。

当事者の認識は、こうだった。

現場は、仕事をやりながら覚えるものだと思っている。
先輩社員は、自分が通ってきた道をなぞらせているつもりでいる。
管理職は、現場で自然に育っていくと理解している。

誰も、育成を軽視していたわけではない。
放置していたつもりもない。

ただ、育てるか、まだ任せないか。

その判断を、誰も引き受けていなかった。

育成では、「行為」だけが積み重なっていく。

教える。
任せる。
フォローする。

一方で、

・なぜ今、この仕事を任せたのか
・なぜ、まだ任せなかったのか
・どの判断で、次に進ませたのか

それらは、組織の中に残らなかった。

この状態では、育成がうまくいっているのかどうかを、後から検証できない。
育った理由も、育たなかった理由も、構造として説明できない。

結果が出れば、「現場がうまくやった」。
結果が出なければ、「本人の資質」や「教え方」の問題になる。

問題は、育成の方法論ではない。
教え方でもない。
仕組みの有無でもない。

育成という行為の中に、判断が置かれていなかった。
判断を、誰も引き受けていなかった。

育成の形骸化は、この一点から始まっている。