── 関与ログ ──数字を作っている主体が、見えなくなっていた構造

多くの組織では、数字は「管理されるもの」として扱われている。

・売上
・KPI
・達成率

それらは会議で共有され、進捗として報告される。
数字は、組織の状態を把握するための合理的な指標である。

構造を辿っていく。

いつの間にか、数字を作っている主体が見えなくなっていた。

数字は、誰かの行動の結果である。

顧客と向き合う。
提案する。
選ばれる。

その積み重ねとして、数字が発生する。

それにもかかわらず、構造の中で数字は、「現場が生み出した結果」ではなく、
「管理の対象」として扱われる比重を高めていった。

当事者の認識は、こうだった。

現場は、数字は求められるものだと理解している。
管理職は、数字で状況を把握しているつもりでいる。
経営は、数字を通じて組織を見ていると考えている。

誰も、現場の努力を軽んじていたわけではない。
数字を軽視していたわけでもない。

ただ、数字が生まれる瞬間に、誰の判断があったのか。
それが、構造の中で見えなくなっていった。

数字は、「目標」や「ノルマ」として存在感を強めていく。

達成したか。
未達だったか。
結果だけが残る。

一方で、

・なぜ、その行動を選んだのか
・なぜ、その提案をしたのか
・なぜ、その顧客に向き合ったのか

そうした判断は、数字の裏側に隠れていった。

この構造では、

数字は説明できる。
判断は説明できない。

うまくいったときは、「設計が正しかった」。
うまくいかなかったときは、「実行が足りなかった」。

そう解釈するほうが、合理的で、安全だからだ。

問題は、数字を使うことではない。
管理することでもない。

数字を、判断から切り離して扱っていた。
そこにある。

数字が積み上がる一方で、現場には、「自分たちは、数字を作っているというより、
数字を作らされている」この感覚が、合理化されていく。

これは、現場の姿勢の問題ではない。
評価制度の設計の問題でもない。

数字の背後にあった判断の主体が、構造の中から消えていった。

その結果、数字は残る。
判断は残らない。