── 関与ログ ──営業会議が、「判断の場」ではなく「報告の場」になっていた構造

多くの組織に、営業会議は存在している。

数字を確認する。
進捗を共有する。
課題を整理する。

形式としては、意思決定のための場が用意されているように見える。

実際のやり取りを辿っていく。

そこに、判断は置かれていなかった。

会議では、

・今、何が起きているか
・どこが遅れているか
・何をやったか

は共有される。

一方で、

・この案件を進めるか、止めるか
・どこまで深追いするか
・何を捨てるか

そうした判断は、会議の外に置かれていた。

当事者の認識は、こうだった。

営業は、状況を報告しているつもりでいる。
管理職は、現場の判断を尊重していると思っている。
経営は、数字を見ながら方向を判断していると理解している。

誰も、会議を形骸化させようとしていたわけではない。
判断を避けていたつもりもない。

ただ、判断を下す場所が、会議の中に存在していなかった。

会議は、次第に「説明の場」になる。

なぜそうなったのか。
次にどうするのか。

よりも、

どれくらい進んでいるか。
遅れている理由は何か。

それを、きれいに説明することが無意識に求められていく。

この構造では、

会議は回る。
資料も整う。
発言もある。

しかし、

・誰が、どの判断を引き受けたのか
・どの前提で進めることにしたのか

それらは、組織の中に残らない。

問題は、営業会議そのものではない。
報告が悪いわけでもない。
数字を確認することが間違いなわけでもない。

判断を、会議の外に預けたままにしていた。
そこにある。

判断が置かれない会議では、

議論は増える。
決断は増えない。

結果として、営業は動いているように見える。
組織は前に進んでいるように見える。

だが、後から振り返ったとき、「いつ、何を決めたのか」
それを、誰も説明できなくなる。

これは、営業力の問題ではない。
会議運営の巧拙の問題でもない。

判断を置くべき場が、構造として設計されていなかった。

その結果、営業会議は報告の場として最適化されていった。